沼尻墨僊の寺子屋跡
2017/10/26 文化財
所在地:土浦市中央1丁目12-5(琴平神社)
江戸時代後期、琴平神社境内に沼尻墨僊(ぬまじりぼくせん、1775~1858〔安永4~安政3〕年)の開いた寺子屋があった。
墨僊は号で、名を一貞、常治と称した。土浦藩士の太田留蔵・広瀬克斎に師事し、沼尻修平(陸其章)に筆法を学んだ。多芸多才で天文学・地理学に業績をあげ、物理学・土木技術に通じ、漢詩・書道・絵画にもすぐれていた。
享和3(1803)年、土浦中城町(現中央一丁目)琴平神社境内に寺子屋を開いた。寺子屋ははじめ「時習斎」と称したが、のちに「天章堂」と名を改めた。
墨僊は温厚・誠実な人柄で、指定を懇切丁寧に教えた。そのため遠近から墨僊を慕って入門するものが多く、県南地方最大の寺子屋となった。
墨僊の没後、寺子屋は子の墨潭(就道〔しゅうどう〕、のち中條〔ちゅうどう〕氏と改姓)に受けつがれて明治4(1871)年まで続いた。
寺子屋跡の案内板の横には、墨僊の七回忌に門弟たちによって建てられた退筆塚の碑がある。
花蔵院に墨僊の墓はある。
- 共有