土浦城址(亀城公園)
2017/10/25 観光
所在地:土浦市中央1丁目13
文化財:土浦城跡及び櫓門:県指定文化財 史跡 昭和27(1952)年11月18日 指定
現在は本丸と二の丸の一部を整備、造園した茨城百景選出の「亀城公園」として市民の憩いの広場になっている土浦城址。
土浦城が最初に築かれたのがいつなのかは明らかではなく、室町時代の永享年間(1424~1440年)に若泉氏が築いたものと伝えられている。
戦国時代には小田氏、菅谷(すげのや)氏の居城として戦火が繰り広げられ、江戸時代初期には、松平氏、西尾氏、朽木氏、中期以降には譜代大名土屋氏が代々城主となり、現在知られている土浦城は江戸時代に歴代の城主よって整備されたものである。
土浦城は別名亀城(きじょう)と呼ばれて、これは城が幾重ものお堀に囲まれており、その姿が水に浮かぶ亀の姿に見えたことであるとされ、亀城の名からも推測できるように、霞ヶ浦と桜川によってできた低湿地の中の微高地を利用した、守りやすく攻めにくい水城の特徴を備えている。
土浦城の櫓門は、本丸、二の丸の遺跡と共に県の文化財に指定されており、城郭建築の遺構としては関東地方唯一のものである。
この櫓門は、もと本丸の楼門であったが、明暦2(1656)年、5代城主の朽木稙綱(くつきたねつな)が瓦葺入母屋造り単層の櫓門に改築したものである。
太鼓櫓の別称は、二階に大太鼓を備え、定時になると打ち鳴らしたのでこの名がついたとされ、昭和61~62(1986~1987)年に解体修理されて現在の形になっている。
物見櫓は譜代大名西尾氏が土浦城主であったときに建てられたと伝えられ、以前は当時の姿のまま東櫓、西櫓ともに東西の土塁の上に存在していたが、東櫓は明治17(1884)年に本丸館と一緒に焼失してしまい、西櫓も昭和24(1949)年のキティ台風により破損したため取り壊された。
現在は平成2(1990)年に西櫓が、平成10(1998)年に東櫓が復元され、木立の中に往時の姿を偲ばせている。
新しい東櫓は江戸時代の建築技術を継承しながら現代工法も取り入れた建物で、土浦市立博物館の付属展示館として土浦城の紹介をしている。
そのほか、亀城公園内には、土浦城旧前川口門、亀城のシイ(樹齢500年、県指定天然記念物)、土屋神社(旧藩主土屋家の氏神)、聖徳太子堂、高田保句碑(土浦出身の劇作家) 、原脩次郎君之像、山村才助贈位紀恩之碑(江戸時代の世界地理研究の先駆者)等がある。
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