川口川閘門の鉄扉と揚水ポンプ
2017/10/26 文化財
所在地:土浦市川口2丁目
江戸時代に城下町として栄えた土浦は、桜川が霞ヶ浦に注ぎ込む河口の低地につくられた町で、町の中には中小の河川や数多くの水路や濠があった。
この地も、城や商家の物質輸送に盛んに利用されていた川口川の名残で蛇行しており、JR常磐線の線路の下からモール505を抜けて亀城公園の濠と繋がっていた。
川と霞ヶ浦は土浦に水運による繁栄をもたらしたが、大雨が降ると洪水になり易い欠点もあり、そのため土浦では江戸時代から、桜川の堤防決壊や霞ヶ浦の逆流などで、度々大きな水害にあっていた。
そこで土浦の町を水害から守るために、先ず明治28(1895)年に常磐線を当時の霞ケ浦湖岸に敷設し、線路に土手の役割を持たせた。
さらに明治39(1906)年に線路下を流れる川口川の河口部に、逆流防止のための機械開閉式の閘門(こうもん)を設置した。
そして昭和13(1938)年には、市内に流れ込んだ水を霞ヶ浦へ排水する揚水ポンプも設置されたことから、これ以降土浦では大きな水害が減少した。
その後、生活や輸送の変化に伴い次第に川や水路は埋め立てが進み、川口川も昭和51(1976)年に埋め立てられ、閘門はその使命を終えた。
昭和60(1985)年以降、土浦高架道建設に伴い閘門の跡は、土浦駅を東西につなぐトンネル状の道路へと姿を変えた。
この地にあるのは、閘門に設置されていた二枚の鉄扉のうちの一枚と、揚水ポンプの一部である。
洪水と戦った水郷都市土浦の歴史を今に伝えている。
- 共有