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土浦探訪

沼尻墨僊の墓

     2017/10/26   文化財     

所在地:土浦市大手町8-17(花蔵院)
文化財:市指定文化財 史跡 昭和46(1971)7月13日 指定

沼尻墨僊の墓

花蔵院の不動堂裏手、民家の庭先のようなところに沼尻墨僊の墓はひっそりと建っている。
墨僊(ぼくせん)、名は一貞、通称常治(のち完蔵)、墨僊は号である。
安永4(1775)年3月15日土浦田宿町(現大手町)五香屋中村治助祐玉の第九男として生まれ、中城天神町(現中央一丁目)の町医沼尻石牛の養子となった。

墨僊は温厚な人柄で、養父母によく仕えたので藩主より何度も褒賞を受け、弘化元(1844)年には帯刀(たいとう)を許された。
墨僊は、旧中城の琴平神社のところに「寺(時)習斎(じしゅうさい)」(のち、「天章堂」と改称)という寺子屋を開き、多くの子弟を教育した。
多芸多才で、エレキテル(発電機)を作り、堀抜き井戸を掘り、天文学では自作の渾天儀(こんてんぎ)を使用して天体を観測した。天保14(1843)年の彗星観測図は珍しい。地理学では「地球万国図説」を著し、地図を収集、模写し、傘式地球儀を作製するなど大きな業績を残した。

また、漢詩、書道、絵画にも優れていた。
安政3(1856)年4月26日、82歳で没した。大正13(1924)年従五位を贈られた。
墓碑には「静寿庵黙翁墨僊居士」とある。

 
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