筑波山神社
2017/10/29 文化財
所在地:つくば市筑波1番地
ホームページ:http://www.tsukubasanjinja.jp/
筑波山神社は、関東の霊峰「筑波山」を御神体と仰ぎ、約3千年の歴史を有する古社で、境内は中腹の拝殿より山頂を含む約370haにおよび、山頂よりの眺望は関東一円におよぶ。
高く尊い御神徳により、年間を通して多くの方が参拝に訪れる。結婚式や縁結び、交通安全、厄除け等の祈祷も毎日斎行する。
筑波山は、関東地方に人が住むようになったころから、信仰の対象として仰がれてきた。御山から受ける恵みの数々は、まさに神からの賜物であった。その山容が二峰相並ぶため、自然に男女二柱の祖神が祀られた。
その後祖神は「いざなぎの神、いざなみの神」と日本神話で伝えることから、筑波の大神も「いざなぎ、いざなみ両神」として仰がれている。
第十代崇神天皇の御代(約二千年前)に、筑波山を中心として、筑波、新治、茨城の三国が建置されて、物部氏の一族筑波命が筑波国造に命じられ、以来筑波一族が祭政一致で筑波山神社に奉仕した。
第十二代景行天皇の皇太子日本武尊が東征の帰途登山されたことが古記に書かれ、その御歌によって連歌岳の名が残る。
奈良時代の『万葉集』には筑波の歌二十五首が載せられ、常陸国を代表する山として親しまれたことがわかる。延喜の式制(927年)で男神は名神大社、女神は小社に列した。
中世以降仏教の興隆につれて筑波山にも堂塔が建ち、小田城主八田知家の末子 八郎為氏が国造の名跡を継いで神仏並立の時代が続いた。江戸時代、幕府は江戸の鬼門を護る神山として神領千五百石を献じた。幕末になって藤田小四郎等が尊王攘夷の兵を起した筑波山事件を経て明治維新となり、神仏が分離されて神社のみとなり、明治6年に県社となった。(筑波山神社サイト参照)
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